HOME

 

 

説明: C:\Users\karin\Desktop\sachi\sachi_edit\public_html\02main\002A_ayumi\parts\A-ayumi.gif

 

 

説明: C:\Users\karin\Desktop\sachi\sachi_edit\public_html\02main\002A_ayumi\parts\Aayumi001.gif (文:高橋 雅栄)

1980年バブル時代 キャリアウーマンを目指してファッション業界で活躍していました。

平成になって、結婚と出産と子育てを1年間で経験!
喜びと感動。怒りと、不安。夢と、時々敗北感に近い挫折・・・・・・
も〜怒涛のような自身の環境変化に「な〜に、これ!」の連発。
トイレにいけない。寝かせてもらえない。
温かいご飯にありつけない。 ゆっくり風呂にも入れない。
就きたい仕事に戻れない・・・・

「これって、人権問題だわよ。皆さん、よく黙ってやってるわよね。
子育ては、大変でも楽しいものじゃないの?
心から楽しめない私が変なのか?
い〜や、子育ての環境が劣悪なのよ。何とかしなきゃ・・・・」と、お嬢育ちが立ち上がった!!

「周りのママたちはどう考えているの?
ニーズ調査はされてるの?
国の施策は?
じゃ、私は何をする?!」

・・・・・・きっかけは、野川へのおさんぽ!!・・・・・・

 

 

説明: C:\Users\karin\Desktop\sachi\sachi_edit\public_html\02main\002A_ayumi\parts\Aayumi002.gif
     

1997年秋のことです。

三番目の子どもを連れて、野川に散歩に出かけた私に、
「お子さんが三人もいるんだったら、わたし達に、色々教えてください!」
と、言った人がいた。

・・・・・・・・・・そう言われて、

「へ〜、子どもが3人いると、人に教えられることがあるんだ。」

・・・・・・・・・・・そう思った。

これが、私が、子育て支援をライフワークにする最初のきっかけだった。

 

説明: C:\Users\karin\Desktop\sachi\sachi_edit\public_html\02main\002A_ayumi\parts\Aayumi003.gif

当時は、国が少子化対策としてエンゼルプランを発表してから3年目。
世間が「どうも子育てが大変みたいだぞ!!」と、気付きはじめた時代。

でも関心の薄い人たちには、そう言った危機感はまだまだ浸透しておらず、
職場での育児休暇や
妊娠中の業務では、周りの理解が得られずに
本人の就労意欲とは別に、退職に追い込まれる女性も多かった。

独身者で、キャリアを積みたいと思っている人が、
ひそかに「結婚・出産=キャリアを捨てること。」と、思っていたのも否めない。

当然「結婚しない・産まない」を、選択肢とするところとなって行く・・・・。

実際の対応策が、子育て当事者の私たちの生活にまで届いていなかった時代だった。

当時の子育て支援策といえば、

共働きの家庭支援(保育園など)
各種手当て
母子保健としての支援(予防接種や検診など)

であって、
家庭保育をしている専業主婦の育児支援は、
自治体ベースでは、ほとんど着手されていなかったのだ。

私たち母親は、親になって初めて色々な場面で、自分でも思いもよらないような困難さを気づかされた。
不安や、憤り、孤立感、孤独感を抱えていた。

それは、「育児」と言う狭い領域で語れることではなくて
「自分の生き方」から捉えなおしていかないと解決できないような、
大げさに言うと「人権」にまで影響するような、
そんな感じの問題だった。

にもかかわらず
何が問題で
どうしたいのか
どうして欲しいのか
をうまく言語化できず悶々としているような日々のなかで、
目の前に突きつけられている育児に日々追われていた。

「野川ママの会」は、まさにそんな中で生まれた。

子育て当事者が、立ち上げた子育て当事者の為の相互支援の場

これは、全国的にも草分け的な存在だったと思う。

よくある育児サークルと少し違ったのは、サークルで囲ってしまわなかったことだ。
立ち上げた仲間の紹介があれば、誰でも参加できた。

10箇所ぐらいの掲示板に、A4の白黒ポスターを手作りして貼った。
告知は、それだけ・・・。
今のように、携帯も、メールも、パソコンも普及していなかった。

オモチャも自分の子どもの物をそれぞれが持ち寄って、お互いに貸し合って遊んだ。

口コミで、あっという間に広がり10畳ぐらいの部屋では手狭になったため、40畳の部屋に活動を移した。

毎回25〜30組の親子が押し寄せた。

キリン財団の助成を受けて、活動は発展した。
オモチャや、本などを買うことが出来たし、スタッフのスキルアップも図れた。
定期情報紙も発行できた。
この活動が、後の「KOKOプレス⇒KOKOぷらねっと」(小金井子育て情報紙)発行への導入となる。

1997年から11年続いた活動も
2008年3月31日をもって、発展的解消をし、
Hei!Say! おさんぽカフェ」の活動に統合される。

説明: C:\Users\karin\Desktop\sachi\sachi_edit\public_html\02main\002A_ayumi\parts\Aayumi004.gif

その頃、学芸大学の田村助教授(当時)からお声がかかり、
小金井市の子育て支援ニーズ調査など、
大学と協働して調査研究⇒問題解決策の実践の場を得た。

2002年11月 小金井子育て交流会す〜ぷ を立ち上げ 
時を前後して子育て支援の活動を始めた仲間とのネットワーク作りをする。

2002年〜2003年 大学でシンポジュームを開催したり
先に述べたような、ニーズ調査をした結果を経て、
子育て支援センター設立に向けての提言書の作成をした。

また、実際の支援の場として「子育てホッと広場」を大学内で開催。(現在は、活動終了)

そうした実践を通して、色々学ぶことができた。

「常設の子育てサロン」が欲しい!!   そういう思いが強くなる・・・・・。

 

説明: C:\Users\karin\Desktop\sachi\sachi_edit\public_html\02main\002A_ayumi\parts\Aayumi005.gif

私たちが発起人となり、
市民の皆様に声をかけ、たくさんの趣意賛同を頂き、
その賛同者の賛助金と
商工会青部の「小金井夢プラン」で頂いた助成金を元に立ち上げた子育てサロンが、
「子育てサロン@SACHI」だ。

この年 子ども家庭支援センター がやっと立ち上がったところであり
地域格差が否めない状況は、現在も続いている。

@SACHIのスタッフは、全員無償で働いている。
この状況は、野川ママの会も同じこと。
法人化したいが、社会的なキャッシュフローの構造が必要と思っている。

他市・区では、
行政の委託を受けて広場事業をしているところも多々ある。

協働したいが、
オリジナルな活動を10年以上も続けてきたので、
仕様書によって活動を制限されないかと 心配がよぎる・・・・。

市民の力だけで 立ち上げた子育てサロンも
これまた全国的に見ても草分け的な存在だ。
      
自立している既存団体の活動を、
行政が応援するような仕組みが出来たらいいなぁ〜と、思っている。

子育てサロンは、
バギーを押して 歩いてこられる範囲に 一軒づつあるのが理想だ。

子育てサロン@SACHIは、
前原町・中町・貫井南地区はカバーできるが
多地区で、近くに子育てサロンがない地区もあり、
地域格差が生じている。

 

説明: C:\Users\karin\Desktop\sachi\sachi_edit\public_html\02main\002A_ayumi\parts\Aayumi006.gif

 

コミュニティカフェスタイルでの開催となる。

子どもの遊び場・ママのしゃべり場=子育てサロン(広場) を真ん中に
各種講座・相談・癒しコーナー等のブースでぐるっと囲む。

利用者は、自分にあった支援メニューをセレクトし、「自分流の子育て」を見つける。

子育てサロン@SACHIでは、「子育て支援」とは、

当事者が、 自身の力で問題解決することを、サポートすること

と、定義。

「子育て」はウーマンズライフ(人生)のいちカテゴリーではあるが、
そのウェイトは、相当重い。

「子ども自身の育つ力」を、サポートするのが「親」の役目と知りながらも、
我が子を育てるためには、親自身が育っていくことが必至・必須条件でもある。

様々なプログラムを提供することで、
まず親()が、
そして子が、
ともに育ちあう関係を紡ぎ、
その和を、自身の力で、家族・地域・社会へと拡大していって欲しいと願う・・・

 

設立趣意書

この秋、小金井市東町に 市民が中心となって、立ち上げた常設の、「子育てサロン@SACHI」が、開所となります。八年前、市内を流れる野川に集まる母親たちが、近くの会館の一室を借りて始めた子育てサロン「野川ママの会」は、回を重ね、沢山の『人』と『人』との出会いを紡いで来ました。

・・・あの日生まれたばかりだった幼子たちも、今ではもう小学生・・・
そして、2004年春のこと、東町にお住まいの柳氏のご好意により、サロン開所の運びとなりました。

柳氏の、叔母さまである古川幸子氏は、その生涯を、女性問題への取り組みに捧げた方で、そのご遺志により女性のための施設として、この場を得ることができました。
おりしも同じ20041月、市の西のはずれの貫井北町に「子ども家庭支援センター」が設立と成り、東地区へも、子育ての支援のための拠点が望まれているときでした。

子育て家庭の若い世代の育児困難が問題となっています。自分の産んだ子どもが、「はじめて触れ合う子ども」になる。といった、経験の乏しさに加えて、都会の核家族化により、身近にアドバイスを受ける環境もない家庭が珍しくありません。不況の続く中、若い父親はなかなか家庭を顧みる余裕もなく、「子育て」は、新米ママの小さな肩に重くのしかかってきます。仲間の助けを借りるにも 少子化で地域に子どもが減っているため、わざわざ子どものいる場所に出かけていかなければ、「出逢い」すらありません。

失われた地域コミュニティーを、「サロン」という新たな形で、再構築していくことで、彼女らは、出逢い、集い、語り合う中から相互に学びあい、初めての子育てを、楽しく自信を持ってしていくことができます。

子育てが終わった先輩世代の中には、若い親たちの支援をしたいと、お考えの方も少なくありません。
「子育てサロン@SACHI」は、さまざまな機会を設け、世代を超えて、未来をはぐくむ『場』を、作って行きたいと考えております。

子育て支援は、財政的な裏付けとなる制度が確立していません。非常に困難な財政の中、あらゆる方面から「子ども」「子育て環境」への皆様のご理解とご協力が必要となります。
どうか、「子育てサロン@SACHI」をお支えくださいますようお願い申し上げます。

2004年 春   設立発起人代表  高橋 雅栄

 

これは、立ち上げの際の設立趣意書だ。

説明: C:\Users\karin\Desktop\sachi\sachi_edit\public_html\02main\002A_ayumi\parts\sachi001.gif

説明: C:\Users\karin\Desktop\sachi\sachi_edit\public_html\02main\002A_ayumi\parts\Aayumi007.gif

子育て家庭の若い世代の育児困難が問題となっています。

経験の乏しさに加えて、都会の核家族化により、
身近にアドバイスを受ける環境もない家庭が珍しくありません。

不況のつづく中、若い父親はなかなか家庭を顧みる余裕もなく、
「子育て」は、もっぱら新米ママの肩に重くのしかかってきます。

仲間の助けを借りるにも少子化で、なかなか難しい状況です。

 

説明: C:\Users\karin\Desktop\sachi\sachi_edit\public_html\02main\002A_ayumi\parts\Aayumi008.gif

失われた地域のコミュニティーを
「サロン」という新たな形で、再構築していくことで、
沢山の方々との、出逢いが、出来ます。

そこに集い、語り合う中から相互に学びあい、
子育てを、楽しく自信あるものとして行くことが出来ます。

 

説明: C:\Users\karin\Desktop\sachi\sachi_edit\public_html\02main\002A_ayumi\parts\Aayumi009.gif

子育てが終わった先輩世代には、
若い親たちの支援をしたいと、考えている方も少なくありません。

「子育てサロン@SACHI」は、
様々な機会を設けることで、
世代を超えて、未来をはぐくむ『場』を作ってまいります。

子育て支援は、
財政的な裏付けとなる制度が確立していません。
非常に困難な財政の中、
あらゆる方面から 「子ども」 「子育て環境」 への
皆様のご理解とご協力が必要となります。

どうぞよろしくお願いいたします。

説明: C:\Users\karin\Desktop\sachi\sachi_edit\public_html\01top\parts\logo-s.gif
−子育てサロン@SACHI
スタッフ一同 (代表:高橋 雅栄)

■子育てサロン@SACHIの設立当初の事業理念を、
  リーフレットに分りやすく記載したものである。

要約すると・・・・・

1)育児困難を感じる子育て世帯の孤立感・閉塞感からの脱却
) 地域コミュニティを再構築し、街が子育てする役割を果たす
3)育児経験者によるアドバイス(当事者に近似した世代)

 

■常設サロンを開催した結果 新たに判明したニーズ

2005年以降〜:

育児困難をきたす理由のひとつに、
親世代が、子どもだった時代からの
【子育て(同世代以外の世代交流)経験】
が乏しい環境下にあり、
また学校教育が、家庭を営む為の教育よりも
就労の為の教育に重点をおいている傾向が強いことと加味して、
いわゆる【学習の機会】が乏しい。と言うことに気づかされる案件が急増

 ↓

2006年:

親世代にとって有効な情報
(すぐに使える・役に立つ・迷わせない)
の提供の必要性に対応する為、

「紙と鉛筆で、『「わたしの子育て」に自信がつく本』
 〜「子育てサロン」のリアルな知恵〜

の執筆に取り掛かる。     

 ↓

リーフレットを一部変更:

子育てサロン@SACHIは、
子育て家庭に必要な学びの機会と情報を提供します。

参加者は、
相互に影響し合い、子育てが楽しくし易い環境をともに創造します。

その先には
「みんなで子育てする街・こがねい」が広がっていきます。
街のコミュニティーサロンとして、地域のコミュニティーを再構築します。
街全体が子育てし易くなる様に、様々な試みに取り組みます。
又その情報発信基地と成ります。

 ↓

講座を開催:

子育てのスキルを学ぶ場の必要性と、
スタッフの養成とスキルアップの必要性を痛感。

2006年〜   
 一般向け講座「べらべらくらぶ」
 スタッフ養成講座「べらべらくらぶU」

2008年現在
 一般と支援者が同時受講できる講座として
 「わたしの子育てに自信がつく講座」
 を開催中
 
今後
  一般向けの単発講座「育児の根本」を開催予定(子育て入門編)

 ↓

常設サロンは、場所が固定される為
カバーできる地域が限定される というデメリットがある。

2008年4月〜 子育てサロン@SACHIは、 本部事務局として活動し

活動場所の名称を

「子育て支援の屋台村Hei!Say!おさんぽカフェ」  と変更し、

誰でも気軽に来られる コミュニティカフェ として、体制を変更し再始動する。

場所も 市の中央に設置(福祉会館内)

今後は母親達の力で、
こうした活動場所を市内中に増やしていく仕組みづくりを構築する。

 

 

 

 

HOME